4.近紫外逆光電子分光法の性能
4.1 測定例-銅フタロシアニン
図4-1に、測定例として典型的な有機半導体である銅フタロシアニン(CuPc)のIPESスペクトルを示す。検出光エネルギーによってスペクトルがシフトする。図4-1に示すように、スペクトルの立ち上がりエネルギーと検出光波長をプロットすると、傾き1の直線にのる。このことと、スペクトルの形状が従来のIPESで測定したもの[1-9]とよく一致することから、CuPcの空準位が検出されたものと結論できる。
電子親和力は、スペクトルの立ち上がりと真空準位の差として求められる。ここでは、図4-1のスペクトルの立ち上がりエネルギーと検出光波長のプロットに、傾き1の直線を最小二乗法によりフィッティングすることで切片から求めた。その結果、銅フタロシアニンの電子親和力を2.9 ± 0.1 eVと決定した。NUV-IPESでは、このようにバンドパスフィルターを変えて、異なる光エネルギーで測定することで、系統誤差を大幅に抑えることができる。それに加えて、後述するように、従来法に比べ分解能が向上して、スペクトルの立ち上がりを正確に決定できるようになった。これらのことから、電子親和力を精密に決定できるようになった。
図4-1:(a) 銅フタロシアニンの近紫外逆光電子スペクトル。スペクトルの立ち上がりを矢印、真空準位を点線で示す。グラフ中の数値は検出光のエネルギー。(b)スペクトルの立ち上がりに対して検出光のエネルギーをプロットすることで、電子親和力を決定する。
4.2 電子線照射による試料損傷
電子線照射による試料の損傷を評価するため、CuPcについて1回約1時間の測定を繰り返してスペクトルの変化を観察した。図4-2に示すように、14時間の測定後でも試料損傷はほとんど認められない。これに対して、従来のVUV-IPESと同条件の電子照射である10 eVの電子照射では、わずか10分でスペクトル変化が起こり、通常の測定時間である30分から1時間後には、試料損傷のためスペクトルの形状が大きく変化していることがわかる。フタロシアニンは、有機分子の中で電子線照射に対して特に強いことが知られている[10]。他の有機半導体では、さらに電子線照射で損傷を受けやすいことから、これまでのVUV-IPESでは、多くの有機固体を試料損傷なく測定することが困難であることがわかる。
図4-2:銅フタロシアニン(CuPc)の近紫外逆光電子スペクトルの測定時間による変化を(a) 近紫外逆光電子分光、(b)従来の真空紫外逆光電子分光法と同じ条件で電子線照射した場合で比較。
4.3 装置の分解能
NUV-IPESのエネルギー分解能は、銀のフェルミ端の測定から評価した。(図4-3)。IPESのエネルギー分解能は、電子線のエネルギー広がりと光検出器の分解能で決まる。電子線のエネルギー広がりは、電子源のカソード温度T=1100 Kで決まり、kBをボルツマン定数とすると2kBT=0.25 eVとなる。半値幅0.2 eVのバンドパスフィルターを使って測定したとき、銀のスペクトルの一次微分(図7(b))から得られた分解能は0.33 eVであった。この値は、電子線エネルギー幅0.25 eVとバンドパスフィルターの分解能0.20 eVの畳み込みと一致する。バンドパスフィルターに半値幅0.11 eVのものを使えば、エネルギー分解能は0.27 eVに向上する。従来のVUV-IPESでは、分解能はバンドパス光検出器により制限されていたが、NUV-IPESでは光検出器の分解能が大きく向上し、電子線のエネルギー幅により分解能が制限されることが分かった。以上のように、分解能をこれまでの約2倍である0.3 eVまで向上させることが可能になった。
図4-3:(a) 銀(Ag)薄膜のフェルミ端付近の逆光電子スペクトルと(b) 一次微分。
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